国際コーヒー協定が決めていたのは価格そのものではなく、加盟国ごとの輸出量の割当で、価格が目標の価格帯より上がれば増やされ、下がれば減らされた。この割当を定めた経済条項は、1989年7月に停止している[1][2]。価格の急騰が引き金で止まったのは1986年2月だけで、1973年と1989年はいずれも合意不成立による停止だった[2][3]。小さい輸出国と大きい生産国では、この仕組みの影響も分かれていた[2]。
- 国際コーヒー協定が決めていたのは価格そのものではなく、加盟国ごとの輸出量の割当である。
- 新しい割当制の目標価格帯は、1980年10月から1989年6月まで120〜140米セント/ポンドだった。
- 割当が価格の急騰を理由に止まったのは1986年2月だけで、1973年と1989年は合意不成立による停止である。
国際コーヒー協定の条文が定めていたもの
国際コーヒー協定という名前からは価格を固定する取り決めのように見えるが、1983年協定の条文を読むと、実際に規定されているのは輸出量の割当と、それを動かす条件の方である。世界市場を二つに分け、割当の対象になる市場とならない市場を分けたうえで、割当の量を増減させる発動条件を数値で定めている点が、この協定の骨格になる。
加盟国市場と非加盟国市場を分ける第29条
1983年協定の第29条は、世界のコーヒー市場を加盟輸出国が割当を課される市場と、割当を課されない非加盟国向けの市場とに分けている[1]。この区分があるために、加盟輸出国は割当の対象になる市場と対象外の市場を同時に抱える形になった。割当市場と非割当市場の併存は、のちに見る非割当市場での値引き販売という問題にもつながっている。
基本割当と四半期割当(第30条・第36条)
第30条は輸出加盟国それぞれに基本割当を割り当てる規定で、第36条はそこから四半期ごとの割当を算出するしくみを定めている[1]。四半期割当は通常、年間割当の25%とされ、年間の枠を四分割して運用する形がとられていた[1]。四半期割当の目的は、割当が置かれる期間を通じて、コーヒーが世界市場へ秩序だって流れるようにすることだと条文は書いている[1]。
停止と再導入の条件(第33条2項・4項)
割当が止まる条件は第33条2項に定められている。複合指標価格の15日移動平均が、割当を増やす価格帯の上限を3.5%以上上回る状態が連続する30市場日のあいだ続いた場合(ただし比例の増枠をすべて適用済みであることが条件)、または連続する45市場日のあいだ続いた場合(残りの増枠を、移動平均がその価格に達した日に適用することが条件)に、理事会が別段の決定をしない限り割当は停止される[1]。再導入の条件は第33条4項にあり、15日移動平均が、価格帯の中間点を3.5%上回る価格以下になったときに、理事会が別段の決定をしない限り割当が再導入される[1]。
- 停止条件(30市場日型):15日移動平均が上限価格を3.5%以上超える状態が30市場日続き、かつ比例の増枠をすべて適用済みであること[1]
- 停止条件(45市場日型):同じ超過が45市場日続き、残りの増枠をその到達日に適用すること[1]
- 再導入条件:15日移動平均が、価格帯の中間点の3.5%上回る水準以下に下がること[1]
第33条2項・4項が定めるのは停止と再導入の条件であって、割当を増減させる価格帯の数値そのものはそこに書かれていない。価格帯は、第38条にもとづいて理事会が設けるものとされている[1]。
運用の年表 — 割当が動いていた時期と止まっていた時期
国際コーヒー協定は、1962年協定のあと1968年・1976年・1983年と結び直されている[5]。割当は、価格の条件で止まったこともあれば、1973年のように合意そのものが成立せずに放棄されたこともある[2]。割当が動いていた時期と止まっていた時期を年表に並べる。
| 時期 | 割当の状態 | 出典 |
|---|---|---|
| 1963年7月1日 | 1962年協定が暫定発効 | [5] |
| 1973年 | 割当制を放棄(生産国と消費国が支持価格・割当水準で合意できず) | [2] |
| 1980年10月 | 新しい割当制の割当が導入される(制度の発効は1980年)。1989年6月までの目標価格帯は120〜140米セント/ポンド | [2][3] |
| 1983年10月1日 | 1983年協定が暫定発効 | [5] |
| 1986年2月 | 1985年の干ばつによる価格急騰で割当停止 | [2][3] |
| 1987年10月 | 割当が復活 | [2] |
| 1989年7月 | 経済(割当)条項が停止(2つの論点で合意できず) | [2][4] |
1973年の放棄は価格高騰が理由ではない
1973年に割当制が放棄されたのは、生産国と消費国が支持価格と割当の水準について合意できなかったためである[2]。Akiyama & Varangis(1990)は、1970年代初めの世界のコーヒー価格は歴史的な安値だったと書いている[2]。価格が跳ね上がったのは1975年にブラジルを深刻な霜害が襲ったあとで、1973年の放棄は価格の急騰が引き金になった停止ではない[2]。
1980年の新割当制と目標価格帯120〜140セント
1980年に発効した新しい割当制は、1980年10月から1989年6月までの期間、目標価格帯を120〜140米セント/ポンドに置いていた[2]。価格がこの範囲を超えて一定期間高止まりすれば割当は増やされ、範囲を下回れば割当は減らされる運用になっていた[2]。1983年協定の条文では、価格帯は理事会が設けるものとされている(第38条)[1]。
1986年の急騰による停止と1987年の復活
割当が価格の急騰そのものを理由に止まったのは1986年2月だけである[2][3]。1985年8月から11月にかけてのブラジルの干ばつを受けて価格が急騰し、1980年10月に導入されていた割当が1986年2月に停止された[3]。割当は1987年10月に復活しており[2]、1973年・1989年が合意不成立による停止だったのに対し、1986年の停止だけが条文が想定した価格の引き金によるものだった。
1989年の停止 — 価格の引き金ではなく交渉の決着がつかなかった
1989年7月の停止は、条文の第33条が想定していたような価格帯からの逸脱によるものではない[2]。1983年協定は1989年9月末に期限を迎えることになっており、新しい協定の経済条項をめぐる交渉が続くなかで経済条項が止まった[2][5]。
Gilbert(2005)が示す停止の日付
Gilbert(2005)は、第4次国際コーヒー協定の経済条項が1989年7月4日に停止されたとし、それは協定そのものの定めた終了の2か月前だったと書いている[4]。この資料は第2回世界コーヒー会議(2005年9月)のために用意された発表原稿で、査読を経た論文ではない。
Akiyama & Varangisが描く交渉の経緯
Akiyama & Varangis(1990)は、協定が1989年9月に期限を迎えるのを前に、1988年から1989年にかけて集中的な交渉が行われたが、2つの主要な論点が決着せず、経済(割当)条項が1989年7月に停止したと記している[2]。論点の1つは割当の配分、もう1つは輸出加盟国による非加盟の輸入国向けの大幅な値引き販売だった[2]。停止の背景にあったのは、価格の水準ではなく、合意そのものがまとまらなかったという事情である。
条文が想定した停止条件と実際の違い
第33条2項が定める停止条件は、複合指標価格の15日移動平均が価格帯の上限を3.5%以上超える状態が30市場日または45市場日続くというものだった[1]。1989年の停止はこの価格を発動条件とする停止ではなく、新しい協定の経済条項をめぐる交渉がまとまらなかったことによる停止である[2]。条文上の自動停止と、実際に起きた交渉型の停止は、同じ「割当が止まる」という結果であっても成立のしかたが異なる。
下落幅の測り方 — 起点と終点で数字が変わる
1989年の停止後にコーヒー価格が下落したこと自体はAkiyama & VarangisもGilbertも記しているが[2][4]、「何%下落したか」という問いへの答えは、起点と終点の取り方によって変わる。どれか一つを唯一の正しい下落幅として扱うのではなく、測り方ごとの前提を並べて見る方が実情に近い。
| 測り方 | 数字 | 出典 |
|---|---|---|
| 停止後の下落(Akiyama & Varangis) | 40%超 | [2] |
| ICO指標価格 1989年5月→1992年5月 | 115.9→50.0米セント/ポンド(1992年5月は停止前水準の43%) | [4] |
| 1年後の下落(計算) | 115.9→73.3米セント/ポンドで約37%下落 | [4] |
| 3年後の下落(計算) | 115.9→50.0米セント/ポンドで約57%下落 | [4] |
| Gilbertの回帰推計 | 停止にともなう価格低下41.5% | [4] |
| ICO年平均 | 1990年71.53、1992年53.35 | [6] |
| ICO月平均(1990〜1993年で最も低い月) | 1992年8月45.89 | [6] |
Akiyama & Varangisの「40%超」
Akiyama & Varangis(1990)は、割当の停止後に価格が40%を超えて下落したと記している[2]。論文のこの箇所は、いつからいつまでの下落かを示していない。次に見るGilbertの数字と、そのまま重ねることはできない。
Gilbertの指標価格と回帰推計
Gilbert(2005)は、ICO指標価格が1989年5月には115.9米セント/ポンドだったのに対し、1990年5月には73.3米セント/ポンド、1992年5月には50.0米セント/ポンドまで下がり、1992年5月の水準は停止前の43%にとどまったと記している[4]。この数字から1年後の下落幅を計算すると約37%、3年後では約57%になる(いずれも本記事での計算)。Gilbertは別途、回帰分析によって停止にともなう価格の低下を41.5%と推計している[4]。
ICOの年平均・月平均に見る底値と1994年の反発
ICOの複合指標価格の年平均は1990年が71.53、1992年が53.35で、1990〜1993年の月平均で最も低いのは1992年8月の45.89である[6]。同じ表を2019年まで見ると、最も低い月は2001年9月の41.17になる[6]。この数字は年平均・月平均という集計の仕方が異なるため、Gilbertが示す単月同士の比較とは別の切り口になる。同じ表の1990年5月は73.30でGilbertの値と一致し、1992年5月は49.27で、Gilbertの50.0とはわずかに違う[4][6]。なお同じ表では、1994年6月の127.91から7月の191.44へという大幅な上昇も確認できる[6]。
40%超・41.5%・約37%(計算)・約57%(計算)という複数の下落幅は、どの月からどの月までを測るか、単月どうしの比較か回帰による推計かが違う数字である[2][4]。43%は下落幅ではなく、1992年5月の価格が停止前の水準の何%だったかを示す値である[4]。
誰が得をし誰が損をしたか
割当制の影響は、生産国のあいだで均等ではなかった。規模の違う輸出国のあいだでの非対称と、割当市場・非割当市場という二つの市場の並存が、損得の分かれ方を形づくっている。
小さい輸出国と大きい生産国の非対称
Akiyama & Varangis(1990)は、割当制が世界のコーヒー価格を安定させる効果を持っていたとしつつ、規模の小さい輸出国の大半では実質の輸出収入を減らし、規模の大きい生産国の方が得をしたと記している[2]。世界のコーヒー市場のモデルによるシミュレーション(1981〜85年)の結果で、小さい国の大半も、リスクが減るという面では得をしたと論文は書いている[2]。同じ割当制度であっても、国の規模によって受け取る利益と負担が異なっていたという指摘である。
非割当市場での値引きという報告
第29条が分けていた非割当市場では、加盟国産のコーヒーが割当市場の価格より30〜50%安く売られていたと伝えられているが、Akiyama & Varangisはこの市場の価格について信頼できるデータがないと断っている[1][2]。値引き率そのものの数字はあっても、その裏付けが十分でないという限界が著者自身によって明示されている点は見落とされやすい。
価格変動の大きさに有意差があるか
Gilbert(2005)は、月次の収益率の標準偏差を年率換算した価格変動の大きさを比較し、1970〜1988年が22.2%、1990〜2005年が24.1%になったとしている[4]。この二つの数字の差は小さく、統計的に有意ではないとGilbertは記し、統制の終了が国際価格の変動を大きくしたとも小さくしたとも言う根拠はないとしている[4]。
- 規模の小さい輸出国:割当制のもとで実質の輸出収入が減ったとされる[2]
- 規模の大きい生産国:同じ割当制のもとで利益を得たとされる[2]
結論
国際コーヒー協定が「国どうしで値段を決めていた」という理解は、半分だけ正確である。決めていたのは価格そのものではなく輸出量の割当であり、価格帯からの逸脱を条件に割当を増減させるしくみだった。
| 決めていたもの | 動いていた時期 | 止まった理由 |
|---|---|---|
| 加盟国ごとの輸出割当(基本割当・四半期割当) | 1980年10月〜1986年2月、1987年10月〜1989年7月ほか[2][3] | 1986年2月は価格急騰[2][3]、1973年・1989年は合意不成立[2] |
割当が止まっていた期間と動いていた期間を分けて見ると、1989年の停止が価格の急騰という引き金ではなく、新しい協定の経済条項をめぐる交渉がまとまらなかったことによるものだったと分かる[2]。停止後の下落幅についても、40%超・41.5%・約57%(計算)という複数の数字は測り方の違いによるもので、いずれか一つだけが正しい答えというわけではない[2][4]。なお、生産者が受け取る最低価格を民間の仕組みとして保証するフェアトレードの取り組みは、この協定の割当制度とは別の枠組みであり、その内容はフェアトレード・スペシャルティ・コモディティの違いで扱っている。国際コーヒー協定という語を見かけたときは、価格の固定という理解ではなく、輸出量の割当と、その割当を動かす価格帯というしくみに立ち返って読み直す価値がある。
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参考文献
- International Coffee Agreement, 1983 (with annexes), United Nations Treaty Series vol. 1333, I-22376
https://treaties.un.org/doc/Publication/UNTS/Volume 1333/volume-1333-I-22376-English.pdf - Akiyama, T. & Varangis, P. N.「The Impact of the International Coffee Agreement on Producing Countries」The World Bank Economic Review 4(2):157–173, 1990
https://doi.org/10.1093/wber/4.2.157 - ICO|Coffee price volatility(ICC 94-5・13 September 2005)
https://www.ico.org/documents/icc94-5e.pdf - Gilbert, C. L.「The Long Run Impact of the Ending of Coffee Control」第2回世界コーヒー会議(ICO)発表論文・24 September 2005
http://dev.ico.org/event_pdfs/wcc2/presentations/gilbert text.pdf - ICO|Dates of International Coffee Agreements
https://www.ico.org/documents/datesicas-e.pdf - ICO|ICO composite and group indicator prices (annual and monthly averages)・1990年以降
http://dev.ico.org/historical/1990 onwards/PDF/3c-indicator-prices.pdf
