缶コーヒーの独特な風味は、缶という容器そのものの欠陥ではなく、常温流通に耐えるための加熱殺菌によって特定の香気成分が減ることに由来する。加熱処理によってフルフリルチオール(furfurylthiol)やメチオナール(methional)など5つの香気成分が減少することが、日本食品科学工学会誌に掲載された研究で報告されている[1]。ハンドドリップの香りと缶コーヒーの香りが違って感じられる理由は、豆の品質差ではなく工程の違いにある。
- 缶コーヒー特有の香りは、常温流通のための加熱殺菌が香気成分を減らすことに由来する。
- 加熱でフルフリルチオールやメチオナールなど5つの香気成分が減ることが研究で報告されている。
- パッケージのコーヒー生豆換算区分や成分表示を確かめると、選ぶ際の判断材料になる。
この記事は「コーヒーの淹れ方は4種類で整理できる|透過・浸漬・加圧・煮出しの原理マップ」の各論です。
缶の香りは淹れたてと違う——それは何が違うのか
開栓した瞬間に気づく香りの差
缶コーヒーのふたを開けた瞬間の香りと、ペーパードリップで淹れたばかりのコーヒーの香りは明らかに違う。ハンドドリップでは花や柑橘を思わせる揮発性の高い香気が立ちやすいのに対し、缶コーヒーではやや重く、焦げ感や苦味寄りの印象が先に立つことが多い。この違いは豆の品質差というより、抽出後にどのような工程を経て容器に詰められているかという条件の差から生まれる。家庭でハンドドリップを続けている人ほど、同じ産地・同じ焙煎度の豆であっても抽出方法や保存条件で印象が変わることを、経験的に把握しているはずである。
「劣化」ではなく成分構成の違いという捉え方
缶コーヒーの香りを表現する際に「劣化している」という言葉が使われることがあるが、その評価を採らない。缶コーヒーが備えている香気は、常温で長期間流通させるための加熱殺菌という工程を経た結果として生まれた、いわば別の成分構成の産物である。ハンドドリップの香りを基準にして缶コーヒーを測れば「劣る」という評価になりやすいが、缶コーヒーは初めから常温流通という異なる条件のもとで設計された飲料である。両者は淹れ方の違いというより、流通条件の違いが生んだ別の飲み物として捉えたほうが実態に近い。
香りの印象差を好みの話に留めず、どの工程がどの香気成分に効いているかで捉え直すと、缶コーヒーとハンドドリップを同じ物差しで比較すること自体が難しいとわかる。
缶コーヒーは「密封して常温で流通する飲料」である
常温流通を実現するための加熱殺菌
缶コーヒーが常温の自動販売機やコンビニの棚に並べておけるのは、容器に密封したあとに加熱殺菌を行っているためである。ハンドドリップのように抽出直後に飲むことを前提とした飲料とは異なり、缶コーヒーは製造から消費までの間に長い時間と常温の環境を経由することを前提に設計されている。加熱殺菌は、この常温流通を成立させるための必須の工程であり、風味の話はここから始まる。缶を開けたときに感じる香りの違いは、この前提抜きには説明できない。
食品表示基準における位置づけ
食品表示基準は、容器包装に密封された常温で流通する食品について、要冷蔵である旨の表示が必要になる条件を、水素イオン指数や水分活性、加熱条件を用いて規定している。ただし清涼飲料水はこの規定の対象から除かれており、缶コーヒーのような清涼飲料水はこの枠組みとは別の整理のもとで常温流通が扱われている[4]。飲料の種類によって、常温での安全性をどう担保するかという制度上の扱いが分かれている点は、缶コーヒーの背景を理解するうえで踏まえておきたい部分である。
加熱で減る香気成分と、その先に見えること
5つの香気成分とその名称
日本食品科学工学会誌に掲載された研究は、コーヒー飲料を加熱処理した際に減少する香気成分として、次の5つを見いだしている[1]。
- フルフリルチオール(furfurylthiol)
- メチオナール(methional)
- 3-メルカプト-3-メチルブチルホルメート(3-mercapto-3-methyl-butyl formate)
- β-ダマセノン(β-damascenone)
- スカトール(skatole)
これらの成分は、香調(どのような香りの性質として感じられるか)と閾値(どの程度の濃度から感知できるか)の両方が個別に評価されており、単に含有量が多い成分ではなく、少量でも感覚への影響が大きい成分が選ばれている点が特徴である。
ガスクロマトグラムでは顕著な差が出なかったという但し書き
同じ研究では、加熱処理前後の香気成分をガスクロマトグラムで比較した際に、全体としては顕著な差が見られなかったことも記録されている。これは一見すると加熱による香気変化が乏しいという結論に読めるが、研究はそのうえで香調と閾値を考え合わせるという別の切り口を採用し、先の5成分の減少が香気変化に大きく関与していると推定している[1]。全体としてのプロファイルに大きな差が出なくても、閾値の低い成分の減少だけで感覚的な印象が変わりうるという説明の枠組みが、この研究の要点である。
香調と閾値を考え合わせるという研究の論法
香調とは、その成分がどのような香りの性質を持つかを指す言葉であり、閾値とは、人がその成分をどの程度の濃度から感知できるかを示す指標である。研究は、単に含有量の増減だけでなく、香調と閾値の両方を踏まえたうえで、先の5成分の減少が加熱処理後の香気変化に大きく関与していると推定した[1]。含有量としてはわずかな減少であっても、閾値が低い成分であれば人の感覚にとっては無視できない変化になりうるという考え方である。量だけでなく感じやすさまで含めて香気を評価する視点が、ここでの論法である。
酸化・熱分解・加水分解という反応経路
同じ研究は、これらの香気成分を含むモデル実験を通じて、加熱処理によって酸化、熱分解、あるいは加水分解の反応が起こった結果として香気成分が減少すると考えている[1]。反応の種類が一つに絞られていないことは、成分ごとに壊れ方が異なる可能性を意味する。コーヒー抽出液を加熱する工程は、香りが単純に消えるという現象ではなく、複数の化学反応が並行して進む過程として説明されている。
ガスクロマトグラムの全体プロファイルに大差がなくても風味印象が変わりうるのは、成分ごとの閾値が大きく異なるためである。分析機器の全体像だけを見ていると、人の感覚に効いている変化を見落とすことがある。
工程の側の対処
香気成分の減少を工程側でどう抑えるかについては、実際に取り組みを報告した研究がある。ある研究は、缶コーヒーの製造工程における酸素と熱の影響を最小限にするための検討を行い、複数の対策を組み合わせた製造プロセスを紹介している[2]。個別の社名や商品名には立ち入らず、報告されている工程上の工夫のみを整理する。
- 製造工程中で酸素を窒素に置換する
- 超高温短時間殺菌処理と無菌充填を組み合わせる
- コーヒーとミルク成分を分け、それぞれ適切な温度で殺菌処理する
酸素を窒素に置換する
1つ目の工夫は、製造工程中に存在する酸素を窒素に置換することである[2]。コーヒーの風味は酸素や熱の影響を受けやすいことが知られており、酸素濃度を下げることで酸化に由来する香気の変化を抑える狙いがあると考えられる。窒素という不活性な気体に置き換えることで、酸化反応が進みにくい環境を工程の途中でつくる発想である。
超高温短時間殺菌と無菌充填
2つ目は、超高温短時間殺菌と無菌充填を組み合わせることである[2]。短時間で殺菌を終えることで、加熱による香気成分への影響を最小限にとどめながら、常温流通に必要な殺菌効果を確保しようとする工程である。殺菌後の充填工程を無菌の状態で行うことで、殺菌後の再汚染を防ぐ狙いもあると考えられる。
コーヒーとミルクを分けて殺菌する
3つ目は、コーヒー成分とミルク成分を分け、それぞれに適した温度で殺菌処理を行うことである[2]。コーヒーとミルクでは熱による成分変化の起こりやすさが異なるため、同じ温度・時間で一括して殺菌するよりも、成分ごとに条件を変えたほうが風味への影響を抑えやすいという考え方である。ミルク入りの缶コーヒーが登場する場面では、コーヒー単体の缶コーヒーとは異なる殺菌設計が必要になることがここからわかる。
中身の量も味を決めている
缶コーヒーの味を左右する要因は、加熱殺菌のような工程だけではない。中身にどれだけのコーヒー由来成分が含まれているかという量的な区分も、味を決める要素の一つである。
コーヒー生豆換算という区分
コーヒー飲料等の表示に関する公正競争規約は、内容量100グラム中に含まれるコーヒー生豆換算の量によって、3つの区分を設けている[3]。
| 区分 | 生豆換算量(内容量100グラムあたり) |
|---|---|
| コーヒー | 5グラム以上 |
| コーヒー飲料 | 2.5グラム以上5グラム未満 |
| コーヒー入り清涼飲料 | 1グラム以上2.5グラム未満 |
同じ棚に並ぶ缶コーヒーであっても、この区分によって含まれるコーヒー由来成分の量には幅があることになる。パッケージに書かれた「コーヒー」「コーヒー飲料」といった表記の違いは、単なる呼び方の差ではなく、この生豆換算の基準に基づいた分類である[3]。
表示に関わる用語の基準
同じ規約には、「ブラック」「ミルク入り」「カフェ・オレ」「カフェ・ラッテ」やこれに類する用語、「スーパー」「スペシャル」「プレミアム」といった特定用語を表示する場合の基準も定められている[3]。たとえば「ブラック」の用語は、乳製品や乳化された食用油脂を使用していない場合に限って表示でき、糖類を使用しているときは同一視野に「加糖」の表示を伴わせる必要がある。ただし、糖類の含有量を低減した旨(低糖、微糖等)の表示をした場合には、「加糖」の表示は省略できる[3]。パッケージに書かれた言葉のひとつひとつが、中身の設計と結びついた表示ルールのもとに置かれていることがわかる。
生豆換算の区分は「コーヒー」で5グラム以上と定められている一方、それ以外の区分には上限と下限の両方が示されている。区分ごとの範囲がわかっても、実際の配合設計や抽出条件までは規約が定めているわけではないため、区分名だけで味の強さを直接比べることはできない。
結論——ここから何が言えて、何が言えないか
言えること
缶コーヒーの香りが淹れたてのコーヒーと違って感じられる背景には、常温流通のための加熱殺菌という工程があり、その過程でフルフリルチオールやメチオナールなど特定の香気成分が減少することが、日本食品科学工学会誌の研究によって報告されている[1]。工程側では、酸素を窒素に置換する、超高温短時間殺菌と無菌充填を組み合わせる、コーヒーとミルクを分けて殺菌するといった対策が報告されており[2]、中身の面でも生豆換算の区分によって含まれるコーヒー由来成分の量に幅がある[3]。これらは、缶コーヒーという飲み方全体の傾向を理解するための材料である。
言えないこと
ここまでの内容から、個別の商品がどのような味になるかを逆算することはできない。研究が特定した5成分の減少や、報告されている製造工程上の工夫は、いずれも一般的な傾向や一つの事例を示したものであり、市販されているすべての缶コーヒーに同じ条件が当てはまるとは限らない。同じ区分に属する商品であっても、実際の配合や殺菌条件は製品ごとに異なりうるため、「この区分だからこの味になる」という単純な対応関係を、公開されている資料の範囲で作ることはできない。ハンドドリップを続けている読み手にとって、缶コーヒーは比較対象というより、加熱と密封という別の設計思想で作られた飲み物として眺めると理解しやすい。次に缶コーヒーを手に取ったときは、パッケージの表示区分や成分表示を確認しながら、どのような設計のもとにその一本があるのかを見比べてみるとよい。缶の表示区分を決めている規約が、豆の袋の側で銘柄名をどう定義しているかは、コーヒーの銘柄名は「どこで採れたか」で決まっているで扱っている。
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参考文献
- 熊沢賢二・増田秀樹・西村修・平石真也「コーヒー飲料の加熱処理による香気変化」日本食品科学工学会誌 45巻2号 (1998)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nskkk1995/45/2/45_2_108/_article/-char/ja/ - 「コーヒーの風味向上の研究:脱酸素いれたてパック製法の開発」化学と教育 55巻11号 (2007)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/55/11/55_KJ00007514792/_article/-char/ja/ - コーヒー飲料等の表示に関する公正競争規約及び同施行規則
https://www.jfftc.org/DATA/Kiyaku_pdf/b03_H_cancoffee.pdf - 食品表示基準(平成27年内閣府令第10号)/e-Gov法令検索
https://laws.e-gov.go.jp/law/427M60000002010
